2019年10月09日

『短章』より・・・

 仕方がないとあきらめるのと
 まかした以上 文句をいわない
 ということでは
       雲泥の差がある

  ★わたしは 古い考え方なのだろうけど
   主人が お茶碗を洗ったり 
   洗濯物を干したり 取り入れたりする姿は
   好きではない
   結婚してから そのようにしてきたので
   たまに出かけていて 雨が降って来たときなど
   洗濯物を入れてと頼むと
   まぁとんでもない取り入れ方になってる
   洗濯物が雨に濡れなかっただけで助かったと
   思えばいいので 文句は言うまいと我慢。
   ただ どんなに私が体調悪く寝込んでいても
   お茶碗は台所に積み重なってる
   人に任せることのできない
   損な性格と言えるのかな???
   
posted by りえちゃん at 06:38| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年10月03日

『天声』より・・・


  もう一度たしかめないと気がすまぬ
  としよりはくどいといわれながらも

 ★父は用心深くというより本当は怖がりだったのかもしれないが
  母が戸締まりをしたあとも もう一度点検しないと
  安心できない出来ないみたいで 母は
  いつも ” 信用できひんのかいな”って怒ってました
  
  いま 思えば わたしも同じことしています(笑)
  外出するとき 何重にもカギをする習慣なのですが
  主人がしてくれると どこか抜けてることが多く
  必ず そのあと<こっそり> もう一度見て回っています
  別に 泥棒が入っても何も盗って行くものはなくても
  散らかし放題にされるのがいやで・・・・
  それが 一緒に 出かけるのが億劫になる理由のひとつ
  一番大きな理由は もちろん愛猫バーディを
   ひとりでお留守番させるのが心配だということですが・・・
posted by りえちゃん at 06:53| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年09月25日

『短章』より・・・

 いと早き月日なりけり
 いと早く年は暮れけり
 われ老いにけり
  ” そんなことは ”と平然としていたように
   思われる良寛に老いのさびしさを詠んだ歌が
   案外多い

 老が身のあわれを誰に語らまし
 杖を忘れて帰る夕ぐれ
   忘れたということよりも
   杖を取りに戻る億劫さに
   老いのわびしさがある

 ★ あるとき 父に杖をプレゼントしてくださったファンがいて
   それからずいぶん後に 父に杖を持たせたことがある
   ところが その杖が使えない
   杖に身体をゆだねて歩くことができない
   不器用な父だからということだけではなく
   一日何度も階段を上がったり 降りたりして
   2階の書斎にある書物を取りに行ってたことが
   足腰を丈夫にしていて 100歳にしても
   杖が必要としなかったのかもしれない
   足腰丈夫が元気の源なのかな〜〜〜
   そういえばバーディも人間の年齢なら
   もう100は超えてるけど
   毎日 一日に 階段を何往復もしているので
   元気でいてくれてるのかな
posted by りえちゃん at 05:46| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年09月19日

『短章』より・・・

今日のことを忘れ
明日のことを思わず
今日は今日にまかせ
明日は明日にまかせれば
苦もなく また楽もない

 ★父は 
  大きな見えない力で
  ひとは生かされていると思っていたので
  このようなことばが出てきたのだろう
  わたしは その見えない力がまだ
  どういうものなのか わかっていないので
  ときに もがいて悲しくなるときがある
posted by りえちゃん at 05:41| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年09月06日

『ひととき』より・・・

いまのテレビの愚劣化は 芸能人を
あまりにも 高く評価して登場させてきたことのある
もともと芸能人は ” 役者バカ ”とも言われているように 
普通人とは異なった感覚の持ち主であるべきで
その芸能人をして普通社会の常識で判断すべき事柄を
論議させているというのが いまのテレビを
愚劣にしているもとである
 (これはテレビに限ったことではないが)
人気を保ちたいために好んで出演する芸能人は
すでに芸能人としても落伍者である
その落伍者のつまらない論議によって
選挙の結果までも左右されるというに至っては
笑ってすまされる問題ではない
大衆が好んでいるからという論議は許されない
(社会の羅針盤)としての役目に邁進することが
テレビの重要な仕事ではないだろうか
評論家と称せられるひと達にも
このことをよく考えてもらいたいものである

 ★ 今度の入閣のなかに もと歌手が選ばれる可能性があるらしい
   いまこの国では ずっと政治の勉強をして議員になった人が何人か集まっても
   いろんな不条理なことをもっともらしい理屈をつけて決まってしまう時代
   庶民生活の現実が わかっていない政治家が多いのに
   歌手やスポーツ選手が何も勉強してないとは言いませんが
   そんな人たちに 国をつかどってもらって大丈夫だろうかと
   ますますこの国で生きて 生活していくことの不安が噴出する
   
年金問題にしても だれひとり自営業の話はしない
   小さな 小さな自営業にとっては 厚生年金をもらってる金額など
   雲の上の話だということ知ったうえでの論議でしょうか
   むかしは たしかに自営業者は 
   定年がないから年金はあてしなくてもという考え方が出来たかもしれません
   でもいま自分の中では定年はしたくなくても
   世の中が 「もうあなたそろそろ商売やめなさい」という姿勢
   ひどい時代になりました 
   かなしい時代になりました
   
   
   
 
posted by りえちゃん at 06:14| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年09月04日

『天声』より・・・

 死んだら
  クヨクヨ しない
  イライラ しない
  ビクビク しない
 だから ホトケになったと
    いうのである

  ★ いま わたしは 生きて
     クヨクヨ している
     イライラ している
     ビクビク している
   でも もう少し
    この世に お邪魔させていただきます
posted by りえちゃん at 06:11| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年08月31日

『短章』より・・・

 自分の秘密を自分自身が
   まもれないのに
 どうして 相手に
  ” まもってくれ ”と
     言えるだろうか

 ★ 接客をしていると 
  よく ” これは 人に言うたらあかんえ〜”っと 前置きしては
  人のうわさばなしをするのが好きなお客さまがいます
  「八方美人」ということばは キライですが
  お客さんとの会話には 気をつかいます
posted by りえちゃん at 07:04| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年08月10日

『短章』より・・・

 ごまかしているからこそ
  生きていられるのだ

 ★ そうなんだ
 「ごまかす」ということがキライなわたしは
 ときどき こころがとてもしんどくなってしまう
 
 「ごまかされる」ということは
 もっとゆるせなくて 腹が立ってしまう
 
 もっと 楽に生きていられるのにね
posted by りえちゃん at 09:38| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年07月21日

『短章』より・・・

釈迦は人々を集めて説教をするようなことはしなかった
あらゆるものから 解放されて
何ものにもとらわれることを恐れた釈迦は
” 教える ”ということすらも
とらわれることを避けたのである
無一文となって他と競うこともなく
てらうこともなく 激することもなく
衣食からも解放されて
こだわることのない安らかな旅をつづけたのである
ふと路上で世のいとなみに疲れはてて
悩んでいるひとを見ると
やさしく言葉をかけた
それは短いものであったが力強く
よくそのひとに悩みを察して
医することのできるものであった
しかし決して自説を押しつけようとするものではなかった

 ★ 何年か前には 一緒によくゴルフをラウンドをしていた
   明るい奥さまが 「うつ病」にかかってられると聞いてから
   間なしの6月末 自らの命を絶たれ とても衝撃を受けています
   
   人のこころの奥の奥に潜む悩みは  だれにでもあること
   それを どのように乗り越えるか 
   どのようなことで 救われるのか
   そのひとにしか わからない・・・
   
   いつも強気でしっかりパターをしていた彼女
   はち切れんばかりの笑顔で 「りえこさん〜〜」って
   話しかけてくれた彼女の声が いまも耳に残っています
   
   人間なんて 本当は 弱い者なんですね
 
posted by りえちゃん at 08:23| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき

2019年07月15日

『短章』より・・・

 ” わかったつもり ”は
  ホントにわかったということではない

 ★ ちょっと違いますが・・・<つもり>ということから・・・
  毎月作っている「マツイ便り」の後半に載せてる私のコメントを 
  お風呂に入ってるときとか 朝 お化粧してるときに 
  ことばを 頭の中で ことばをならべて 
  ” よし! 今月はこれで ”っと 出来た<つもり>でいると
  いざ 実際に まとめてみようとすると 拙劣すぎるし
  伝えたいことが うまく表現出来ていない
  頭の中で 描いていたものと 大きく違う
  <つもり>だけでは ダメだということなのです
  
  また 一から書き直しだぁ〜〜〜
  毎月 毎月  わたしの試練は続きます
     
  
posted by りえちゃん at 07:47| Comment(0) | 父 藤澤駒次郎のつぶやき